2012年1月10日火曜日

書籍 : 小杉武久関連


Ⅰ 草月アートセンターの歩み[年譜と写真] Ⅱ そこは60年代前衛芸術の震源地だった――秋山邦晴 Ⅲ 草月アートセンターのグラフィック・デザイン Ⅳ 私の60年代と草月アートセンター[回想・証言] 勅使河原宏:夢を託した草月アートセンター 池田龍雄:勅使河原宏と一緒だった50年代の頃 針生一郎:内外の新しい潮流が入ってきていた 草壁久四郎:〈シネマ58〉で映画の新しい運動 井川宏三:アートセンターの運営を任されて 奥山重之助:録音室で徹夜続きの音作り 今井直次:トータルに何でも出来た 谷川俊太郎:万博ですべて終わった 杉浦康平:想いだすままに、草月アートセンターとのかかわり 山口勝弘:原動力は蒼風さんだった 奈良原一高:VIVOの設立と解散前後 細江英公:ジャズが大好きで通った場所 今井寿恵:草月アートセンターはパンドラの箱 岩浪洋三:モダン・ジャズの感性に燃えた時代 後藤芳子:泣き代だった現代音楽の出演料 和田誠:自分にとっての60年代 久里洋二:大人漫画をアニメーションにしたがった 宇野亜喜良:イラストレーターがいろんな分野で活躍した時代 横尾忠則:草月から万博への60年代 勝井三雄:人々を触発した空間 古川タク:ボクの草月時代 林光:何でもありの三十歳 湯浅譲二:現代音楽に貢献してくれた音響技師 諸井誠:蝶々が出て行かなかったら、曲が終わらない 高橋悠治:異質のエネルギーが集中した場所 小杉武久:バイクがピアノを壊した! 水野修孝:ジョン・ケージがやってることは珍しくもなんともない 一柳慧:創造活動の拠点として 池辺晋一郎:〈ニューデイレクション〉の頃の思い出 神田昭夫:ぼくにとっては刺激に満ちた青年時代 三善晃:歴史のアクチュアリティ 赤瀬川原平:挑戦的なハプニングの怖さ 粟津潔:偶然性の音楽とハプニング 吉岡康弘:ヨーコって、いったい何者? 矢川澄子:みんな見事に貧乏だった 靉 嘔:ぼくのために武満さんが音楽を書いてくれた 元藤樺子:土方の存在そのものが舞踏 塩瀬宏:瀧口修造と安部公房 堂本正樹:ジュラルミン製トランクの中の大東京の流諦者 竹邑類:自由な発想の原点が学べた 九條今日子:大騒ぎしながら「天井桟敷」旗揚げ公演 高橋睦郎:ぼくの学校は歌舞伎座と草月だった 小池一子:新しいアートが楽しめた空間 ドナルド・リチー:現代文化のインキュベーター 中原佑介:交流させようとした草月アートセンターの意志 松本俊夫:草月アートセンターという文化装置 ジエフリー・ヘンドリックス:私の〈スカイ・ボックス〉ハプニング 飯村隆彦:アクション・パフォーマンスとしての8ミリ映画 森卓也:話題をまいたアニメと喜劇映画特集 石上三登志:本当に映画が好きなんだろうか 大林宣彦:いつか見た〈草月〉 波多野哲朗:異種混合のエネルギーが支えていた 野村紀子:勅使河原プロとアートセンター 奈良義巳:60年代が提供してくれた舞台装置 Ⅴ 草月アートセンター活動記録[資料構成]編=白石美雪・正木基 1.プロローグ――広場の始まり 2.モダン・ジャズとエトセトラ 3.現代音楽の前衛活動①――作曲家集団と演奏家集団 4.現代音楽の前衛活動②――偶然性の音楽とジョン・ケージの来日 5.実験の舞台表現 マース・カニングハム公演と「6人を乗せた馬車」ほか 6.アニメーションの新しい展開 7.世界前衛映画祭とシネマテーク活動 8.アンダーグラウンド・シネマから実験映画祭へ 9.シンポジュウム「なにかいってくれ、いまさがす」ほか 10・フイルムアート・フェスティバル造反

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