2020年3月24日火曜日

書籍 : 詩画集マルドロールの歌~今は冬の夜にいる


詩画集マルドロールの歌~今は冬の夜にいる (日本語)

ロートレアモン伯爵 (著), ナディーヌ・リボー (著), 松本完治 (翻訳)

「マルドロールの歌」は、すでにフランス文学の古典として位置づけられていますが、ナディーヌ・リボーの読み方はそれとは違います。作品そのものより実際の生き方を重んじた、かつてのシュルレアリストと同様、あるいは、ロートレアモンことイジドール・デュカスを再発見してその価値を人類で初めて看破し称揚したアンドレ・ブルトンと同様、彼女は「マルドロールの歌」を、人類への愛憎と悲哀、その裏返しとしての造物主への激しい叛逆と呪詛を読み取り、魂で感じ、今世紀の末期的な物質文明と、殺伐たる現代世界に対峙し得るものとして、その精神を感受しています。

2013年から2016年にかけて、私が『マルドロールの歌』に立ち戻ったのは、まったくの偶然ではありません。2011年、突如発生した福島の原子力災害によってもたらされた、打ちひしがれた感情は、ずっと私の思考を占め続けていました。私は破壊、惨劇、恐怖、権力を持つ支配者の連中が及ぼす影響を目の当たりにしました。彼らは、住民の保護を命令しながら、考え得る最大限の死の危険に住民をさらしたのです。この事態は、災害そのものと同様、私のなかで解決されないままですが、起こってしまった以上、同じ考え方を続けることはできません。爪で私の脳に切り傷をつけるような権力者たちの触手に胡散臭さを感じざるを得ませんでした。その触手から人々に宗教的ともいえる古い考え方が再び生じるのです。すなわち、失って苦しんだあとに、人間はより良き素晴らしい復興を成し遂げることができるという考え方です。それはある一定の連中が、ちっぽけな存在をより巧妙に絡めとるために事態を偽装する、つまり、しなやかに適応して生き延びる復元力(レジリエンス)を押しつけているということです。私のなかで、この出来事から起こった拒否のうねり、それに続いて起こった衝撃、そして危険な思想形態への揺り戻しは消えてはいませんでした。そして私は、その出来事から日が経つにつれ、拒否のうねりが大きくなり、少女時代に、途方もない極端な暴力によって人間の人間による殲滅行為が行われた二つの世界大戦の恐怖、そして広島における究極の廃墟を知った時と同じ状態にある自分を発見したとさえ言えるでしょう。当時、私は本の中でしか自分にとっての解決を見出せませんでした。そのなかの特別な一冊が『マルドロールの歌』だったのです。
 私はこの雨と降る流星のように美しい叛逆のポエジーにずっと魅了されてきました。そこでロートレアモンは、イマージュの無限に向かい、この世界をあるがままに受け入れることの不可能性を冷静に昇華してみせたのです。私は『マルドロール』を読み返しました。それからインクを手に取り、デッサンの連作に取りかかりました。顔料に余分な水を含ませた刷毛で、外枠、扉を素描し、拭きこすり、『マルドロール』の破滅的なイメージ、特殊な雰囲気、鮮やかな一節に結びついたヴィジョンが私のなかに立ち現われ、その様相を描き上げたのです。このデッサンの編集に尽力いただいたロール・ミシィに深甚の感謝を表するとともに、私は、この本質的な作品を恐怖の忘却の底に落とし込むことを拒否する人々、私たちの常軌を逸した殺人的な文明がそこで読むことのできるこの作品をあくまで読み続け、なおも人類の行く末を気にかけ、たとえ絶望し、もがき苦しみ、格闘したとしても、〈生〉の普遍的な意味が打ち棄てられていることに対して、敗北主義者であることを拒否する人々に、この書を捧げます。
ナディーヌ・リボー
(訳/松本完治)