2011年9月8日木曜日

美術 :

作品解説 加納光於の今はほとんど木工所と化したアトリエ別棟から、一九七一年秋に三十五個の『アララットの船あるいは空の蜜』が巣立つ。それはひとつずつ微妙に異る内部を持ちながら、すべて独立完結した三十五個の函である。縦六八〇ミリ、横四四二ミリ、厚さ二二八ミリ。内部には、八月初旬現在、約八〇の材料(木、金属、プラスチック、フィルム、紙、その他)が用いられることが明らかだが、完成したときにはなお別の材料が加わっているかもしれない。実は今も、加納光於の部品集めは続いている。けれども作品は秋にはついに出来上がる。 作品の題名は、八月はじめにきまった。作りつつある加納光於は、脳裡に<方舟>のイメジがしだいに強くなってきたと語り、その数日後、私の中で<アララットの船あるいは空の蜜>という言葉が動かしがたくなった。大洪水ののち、アララット山の中腹に幻の船が漂着し、空の蜜となって薫っている幻像は、少なくとも私には、大部分が加納光於の約一年がかりの作品であるところのこれらの函に、ふさわしく思われるのである。(「『アララットの船あるいは空の蜜』由来記」より 大岡信) 作家紹介 加納光於 かのうみつお (1933-  )東京都生まれ。父親は飾り職人。胸を病み、中学を中退。フランス近代詩や西洋神秘思想に惹かれていた19歳のとき、偶然古書店で手にした『版画の新技法』により、銅版画に興味を持ち、独学で始める。1954年21歳のとき小品を瀧口修造に見てもらう。56年東京・タケミヤ画廊で初個展。59年第3回リュブリアナ国際版画ビエンナーレでリュブリアナ近代美術館賞受賞。以後国内外の展覧会に多数出品し、受賞も多い。シュールで不安なモノトーンのイメージから出発した版画作品は、66年頃から多彩色版画に移行し、その後オブジェ作品や文芸書の造本なども手がけるようになり、78年頃からは自ら絵具を調合した油彩画を制作し始める。2000年「加納光於「骨ノ鏡」あるいは色彩のミラージュ」展(愛知県立美術館)。

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