2010年4月29日木曜日

書籍 : 瀧口修造-妖精の距離




『妖精の距離』 詩・瀧口修造 画・阿部芳文[安部展也]
1937年10月15日 春鳥會  31×25・  16枚

 瀧口修造にとって初の詩画集であり、戦前唯一の日本シュルレアリスムの詩画集である『妖精の距離』は、西脇順三郎によって「シュルレアリストとしての純粋の代表的の傑作だと思う」(『瀧口修造の芸術』1974年)と評されている。
 この詩集は、阿部展也の手による12枚のデッサンから受けたインスピレーションをもとに、瀧口が詩を付けるというかたちで制作された。発行当時、瀧口34歳、阿部24歳。
 阿部は後に「この前後が画家らしい私の出発点ではなかったかと思う。」(自画像 『美術手帖』1951年12月)と回想しており、彼のシュルレアリスム画家としての出発点ともなる。
 瀧口と阿部は「アヴァンギャルド芸術家クラブ」(1936年)と「前衛写真研究会」(1938年)を共に結成した仲間であり、この『妖精の距離』が発刊されたのも、「アヴァンギャルド芸術家クラブ」結成の翌年のことであった。瀧口は1951年に開設された「タケミヤ画廊」から、企画展の作家選考一切を任されることになるが、これは阿部らの推薦によるものであった。ちなみに「タケミヤ画廊」で開催された第1回目の展覧会は「阿部展也展」である。

 「私の内部には、永ひあいだ、卵のやうに絶えず温められてゐた妙な思想があった。さう、それは全く思想といふより、ほかに言ひようのない、だが卵のようなものであった。ただ貝殻の中に小石が形づくられてしまつたやうに、いま一冊の詩画集『妖精の距離』が、阿部芳文君とのあひだに作られたことはたのしい。すべて夢想といふものは卵のように名状すべからざる形をしてゐたのである。かつては、花と鳥たちとが容易に結ばれたことを思ひ起こすまでもない。今は詩はその余白を、絵画はその余白を孤独ならさらに巨大なブランクに曝してゐる。
 『妖精の距離』の第三の余白は読者のやさしい手の中に委ねられてゐるばかりである。」
(『みづゑ』1937年11月)より

0 件のコメント: