2014年2月27日木曜日
書籍 : 日夏耿之介全集(全8巻)(河出書房新社)
■ 日夏耿之介の略歴とその「雅號」について ■
本名、樋口國登。筆名の「日夏耿之介」は大正元年同人誌『聖杯』で初めて用いられています。
1890(明治23)年 長野県下伊那郡飯田町に生まれる。
1908(明治41)年 早稲田大学高等豫科に入学。
1912(大正元)年 同人誌『聖杯』創刊。同人に西條八十がいました。
1914(大正 3)年 愛蘭土(アイルランド)文学会を持つ。会員に芥川龍之介がいました。
1917(大正 6)年 『転身の頌』出版。
1921(大正10)年 『黒衣聖母』出版。
1931(昭和 6)年 早稲田大学文学部教授となる。
1960(昭和35)年 翻訳院曲サロメを三島由紀夫が脚本化して上演。
1971(昭和46)年 沈下性肺炎に罹り、永眠。享年81歳。
<雅號>
明治37年 樋口萍翠 明治41年 樋口驕秋
明治38年 樋口風峡 風峡韻士 明治43年 秋月紅歌
明治39年 樋口湖畔 帰去来市隠
大正 1年 日夏耿之介 大正12年 石上好古
大正 2年 雛津之介 雛都 大正13年 黄眠廃人
大正11年 黄眠 大正14年 夏黄眠
昭和 1年 溝五位 書痴未徒 昭和23年 泥古斎酔人
昭和 2年 黄瞳子 昭和24年 阮聴雪老人
昭和 3年 恭仁鳥 黄眠放人 昭和25年 黄眠草衣
黄眠散人 黄眠道人 昭和26年 阮光以
黄眠閑人 黄眠逸人 昭和29年 榴花深處主人
黄眠病客 昭和34年 黄眠酔人
昭和 8年 随草散人 黄学士
昭和14年 姫城黄眠 黄眠叟
昭和19年 黄眠風流易米叟
■ 『日夏耿之介全集』(全8巻)(河出書房新社) ■
・監 修・矢野峰人、山内義雄、吉田健一
*B5版、上製函入、(黄檗色の)クロス装
・第1巻・【詩集】
(内容)「転身の頌」、「黒衣聖母」、「黄眠帖」、「咒文」、拾遺篇
・第2巻・【譯詩・翻譯】
(内容)「英国神秘詩抄」、「海表集」、「ポオ詩集」、「マンフレッド」、「ワイルド全詩」、「唐山感情集」、「零葉集」、「譯詩拾遺篇」、「サロメ」
・第3巻・【明治大正詩史】
・第4巻・【日本文学】
・第5巻・【作家論】
・第6巻・【美の司祭】
・第7巻・【外国文学】
・第8巻・【随筆・創作】
■ 日夏耿之介と仏文学 ■
日夏耿之介と仏文学について考える場合、少なからぬ影響を与えた二人の詩人は、上田敏と堀口大學といえます。
雑誌『奢覇都』(4巻1號)には堀口大學との共譯、ポオル・ヴェルレエヌ『叡智』の部分譯がなされています。
"嗚呼 神よ 爾(おんみ) 愛をもて儂(わ)が身を傷つけ給へる哉
その險傷(ふかで)いまもなほかく疼きたり矣
嗚呼 神よ 爾(おんみ) 愛をもて儂(わ)が身を傷つけ給へる哉" (第2章第1歌冒頭)
さらには耿之介は『明治浪曼文学史』において、『高野聖』(泉鏡花)を論じてバルベ-・ド-ルヴィイ『魔界集(ディアボリック)』に触れていますが、これは単にド-ルヴィイ紹介の文章として貴重であったのではなく、耿之介のフランス文学観の深さを知る上に重要な一文というべきでしょう。
しかし、日夏耿之介は高踏派や象徴派の詩人たちのみでなく、ヴィヨンのような中世の大詩人も愛していました。『海表集』には「疇昔(そのかみ)の美姫(やしひめ)の歌」が譯されています。
"ふるとしの雪やいづくとあざかへし
このとしこの日趾(あと)とふなゆめ。"
詩のエッセンスを捉えた大膽さ。日夏耿之介はこうした譯詩の試みが出来た数少ない詩人のひとりであったといえるでしょう。
"あはれ夢まぐはしき密咒を誦すてふ 邪神(かみ)のような黄老(おきな)は逝(さ)った 秋(さはきり)のことく幸福(さいはひ)のことく来(こ)し方のことく" 日夏耿之介「詩碑」(在飯田市)
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