2016年6月6日月曜日

音楽 : Bernard Vitet ‎– Mehr Licht!


Bernard Vitet ‎– Mehr Licht!

レーベル:GRRR ‎– SGR 1003
フォーマット: Vinyl, LP, Album
国・地域:France
リリース済み:1979
ジャンル:Electronic, Jazz
スタイル:Free Jazz, Experimental

収録曲

A1 Mehr Licht! 8:41
A2 L'Ange Du Bizarre 9:00
B1 Le Diable Dans Le Beffroi 16:00
B2 La Machine De Marly 7:30

クレジット
Performer – Bernard Vitet

ノート
Label is called Grr... on the cover

音楽 : Bernard Vitet ‎– La Guêpe


Bernard Vitet ‎– La Guêpe

ジャンル: Electronic, Jazz
スタイル: Soul-Jazz, Leftfield, Musique Concrète, Free Jazz, Free Improvisation, Experimental
年: 1972

収録曲
Et Cetera 4:54
Balle De Fusil (1) / Hyménoptère 9:40
Trolley Gresilleur 7:15
La Guêpe Et Le Fruit 9:42
Toujours Fourrée Dans La Nectarothèque 6:24
Balle De Fusil (2) 5:54

2016年6月5日日曜日

音楽 : Alice Coltrane Featuring Pharoah Sanders ‎– Journey In Satchidananda

音楽 : Alice Coltrane ‎– Universal Consciousness

美術 : Toyen


トワイヤン (Toyen, 1902年~1980年); 1902年、チェコのプラハで生まれる。本名マリィエ・チェルミーノヴァ(Marie Cerminova) プラハのエコール・デ・ボザールで短期間学んだ後、1922年にユーゴスラビアでインドリッヒ・シュティルスキーと知り合う。 1923年、 恋人シュティルスキーと共にカフカらが属していたチェコの前衛グループ『デヴィエトスィル』に加わる。この頃から トワイヤンと名乗り始める。名前の由来はフランス語のcitoyenからciを取ったものと推測される。1925年、 シュティルスキーと 一緒にパリに滞在し、『今日の美術』展に参加。それまでキュビズム的だった画風から半抽象画的な画風に変化、「詩的人工主義― ポエティック・アーティフィシャリズム」を指向する。1926年、人工主義を標榜したコンポジションを展示。27年のヴァヴァン画廊 での展示会ではフィリップ・スーポーが序文を書く。1928年、色彩主義、詩的人工主義による『フィヨルド』。1928年、パリを去り、 プラハに戻る。シュルレアリスムの影響から、30年代初頭より夢や無意識に由来した混沌としたヴィジョンを描くほか、精神の現実を 自然の形態に即して表現するようになる。一方、デヴェトシルの政治化により「赤色戦線」グループを結成。1930年代初頭、シュティ ルスキーがロートレアモンとマルキ・ド・サドに傾倒。11月、ネズヴァル、シュティルスキーらとともに国際現代文芸雑誌 『ズヴェロクルフ』を創刊。(翌年発行の第2号で終わる)。1932年、シュティルスキーの出版社「エディション66」が、トワイヤンの 挿画付で『ジュスティーヌ』のチェコ語版を出版。その後、サドを意識したエロティックでサディスティックなイメージを含む作品を 描くようになる。1934年、プラハのシュルレアリスト・グループを創設。1935年、第1回『チェコスロバキア・シュルレアリスム展』 を開催。アンドレ・ブルトン及びポール・エリュアールがプラハを訪れ、親交を結ぶ。1934年、『プロメテウス』 『磁力を持つ女』 などを描く。1937年、『置き去りにされたコルセット』『砂漠の幻影』『黄色い幽霊』『眠る女』などを描く。アンドレ・ブルトンの いう「猛禽の爪の封印をもつ多くのマルドロール的な「コラージュ」」が始まる。 1938年、『恐怖』など。1947年、パリに移り住み、 以降、亡くなるまで当地で暮らす。1980年、パリにて逝去。 1982年、ポンピドー・センターで回顧展が開かれる。アンドレ・ブルトンは トワイヤンについて以下のように語っている。「トワイヤン、感動なしにはけっして思いおこすことのできない、高貴なしるしをおびた その顔、どんなにはげしい襲撃にも深く身をふるわせながら岩のように抵抗しつづける人――彼女の眼は、光の浜辺である」。 「彼女はだれよりもデッサンに固執し、デッサンの構造の堅固さと有効さを確保し、これを唯一の骨組としてとらえるばかりでなく、 ひろがる問いかけの前で自分をとりもどすために、かえってはてしなく迷うことを自分にゆるすアリアドネの糸としてとらえるのだ」(引用)